茨の主

 トロデーン城の一室。
ここは、唯一グランドピアノが置いてある部屋。
本来、王家の姫君の部屋としてその役目を終えるはずであった。
ミーティアはそのピアノの前に歩み寄り、蓋を開ける。
白黒の鍵盤が姿を現し、弾いてくれと主張するように並んでいた。
吸い込まれるように、指一本で音を鳴らした。
「………」
 単調な音があたりに響く。
その間隔は次第に狭まり和音が付き、そしてメロディーを奏で始めた。
メロディーは自己の心境の複雑さを物語っている。

罪悪感と幸福感。
されど、後悔はない。

 サザンビークとの国際交流はグラビウス王の好意により、順調に行っている。
チャゴス王子との結婚は白紙に戻され、二度と日の目を見る事はない。
あの騒動は正式に決められ行われたものとし、ご来場くださったそれぞれの権力者にエイトとミーティアの関係を公認させた。
皆、エイトについて良く知っている人たちばかりだった為、それについて異議を唱える人はいなかった。
結婚式ではなくなったが、豪華な祝福へと変化を遂げる。

 再び戻ったトロデーン。
ここからは唯の姫君としての新たな形で再スタートとなった。
「日常はそこまで変化はない」
 悲しみで空を見上げる前の日常。
国際まで発展した為、激務に追われ何もかも元通りになっているように感じていた。
大きな変化はないが相違点は多くある。

 その要はエイトだろう。
だが、彼にそこまでの影響を与えるものとは思っていなかった。
単純に喜んでいた。
理由なしにエイトに会いにいける喜びだけを感じて、幸福浸っていた。
わかっていた事を理解する前に幸せだけを取り出してしまっていたのだと思う。

 

 エイトは、隊長補佐のヴォルフから奇妙な報告書をもらった。
ヴォルフは、隊長に成り立てでわからない事だらけだったエイトに、親切にかつ厳しく教えてくれている元隊長だったベテランの兵士だ。
今でこそ、随分真面できるようになったが、まだまだ危なっかしいと言われている。
 何せ、統率力云々より、書類関係やまだ残っている魔物の討伐、土地の新開拓、閉ざされていた時間の修復など平和になった今そちらの方が主になる。
しかも複雑で難解だ。

「西の教会近くのトンネルだがな…」
 エイトは前に見た書類の内容を思い浮かべる。
南の荒野とトロデーン領を行き来するトンネルは確か十日ほど前の深夜にものすごい音と共に崩れて、完全に封鎖状態だと聞く。
その復興作業に引率の兵士が一人、新人の兵士何人かが行っている筈。
「何か問題でもあったのですか?」
「それがな、真夜中に変なうめき声が聞こえるそうだ」
「変なうめき声ですか?」
 エイトは眉を顰める。
確かにあんなに頑丈に作っていたものが急に崩れるとは…と、不思議に思っていた。
「魔物の仕業、自然に風化し崩れたのではないということですね」
「あぁ、予測の域は出ないが…」
「反対側に向かっている方達からの報告はありますか?」
 報告書類を見ながらどうするか思案する。
距離的に反対側の情報は遅れるから、仕方がないが十日経っているからいくら遅くても来ているだろうと尋ねた。
「…いや、遅れているだけだと思うが嫌な予感がする」
「とりあえず、その現場に行ってみます」
 そう言って席を立ったが、小さなため息と共にヴォルフが笑った。
「あのな、お前は隊長だ。そうやすやすと城を離れるのはどうかと思うぞ」
「隊長だからこそ一大事に動くべきでしょう。何もなければ、笑い話ですみますし…」
 誰が適任かという話では、旅をして来たエイトの方が魔物に対する処置は完璧だろう。
トンネルの作業も自分で行くといっていたほどだし、だが、自分の地位を忘れがちになられては困る。
「……ついでにお前の方が偉いんだぞ?」
 そう呟くと笑顔で返す。
「経験的にヴォルフさんの方が上です。だから、城内は任せて良いですか?」
「俺に雑用を任せるってか」
「そっそういうわけでは……」
 悪戯な気持ちでそういうと戸惑い、あたふたとしながら次の言葉を考えている。
それに満足して、今回は自分で動くことを許可した。
ヴォルフが許可するというのもおかしな話だが微妙に昔の名残が取れないでいる。
「冗談だよ。陛下に許可貰ってこい!」
「はい!」
 走っていくエイトを見ながら、ヴォルフはため息をついた。
エイトが隊長を務めることに対しては不満はない。
ただ、まだ若い彼が苦労するのはまだ早いのではと思ってしまう。
新米兵士の頃から知っていると余計そう感じてしまうのかもしれない。
ガシガシっと豪快に頭を掻いた。

 

 夜。
ミーティアはエイトの仕事部屋を訪れた。
個室となったエイトはこれ由とばかりにいろんなものを部屋に詰め込んでいる。
書物はもちろん過去に錬金した面白いものまで、皆が要らないと思うものも一緒に入っている。
呆れつつも微笑ましいものだと思う。

「エイト、どうしたの?」
 エイトの普段着、旅の時の姿で報告書を眺めているエイトにミーティアは話しかけた。
「何というか、えーと。西の教会の近くのトンネルが崩れて封鎖された事は御存じですよね? そこからの報告に少し気になることがありまして…」
 今朝方にあったことを淡々と語った。
「一週間ほど前に調査に出かけてから連絡がなくて何かあったのではないかという推測の元、現地に向かう予定です」
「危険なの?」
「わかりません。ですが危険ならなお私が行くべきでしょう」
 ゆっくり微笑むエイトにミーティアは悲しそうな目で言った。
「…。もう怪我して欲しくないわ」
「うーん。確かにククールに比べると回復は不十分かもしれませんがある程度はできますよ?」
 そういう意味じゃないのだけれども…。
そう、ミーティアは思ったが、どういう意味かと聞かれると困るのであえて言わないでおこうと思う。
それに、マイナスの方向ばかり考えていると本当にそうなってしまうと聞くから、ミーティアは勤めて明るい話題と出そうとふわりとスカートの裾が浮かぶぐらい勢いよくエイトの方に身を乗り出した。
「そうね。エイトなら大丈夫よね! いつまでそちらにいるの?」
「そうですね。ルーラで山小屋まで飛びますから、そんなにかからないかと」
 着いてから、現状報告を出す予定です。
危険なら深入りはしませんよ。
「そう、じゃぁ安心して待っていますね。本当なら付いて行きたいのだけれどもちょっと会議があるので無理ね」
 こんなときに会議を開かなくても良いのにと思ったが、それは前から決まっていたこと。
実はエイトも会議に出る予定だったが、洞窟の件が急に入ったので対応に追われている。
密かに一緒にいる時間が増えて喜んでいたのに間が悪いとはこのことかもしれない。
(神様、ミーティアは何か悪いことしましたか?)
 っと、思わず祈ってしまうほどだ。

 沈黙時に丁度ノック音がして、一人の兵士が中に入ってきた。
「失礼します。隊長、準備が……」
 台詞を言いっている最中にエイトの横にいるミーティアと視線がぶつかる。
兵士の顔色が見る間に青くなっていくのがわかった。
ノックの後、返事を待たずに扉を開けてしまったと後悔が脳裏に浮かぶ。
「すっすみません」
 大音量で謝ると、すばやく身を翻し扉を閉めた。
心臓の鼓動が激しく動いて、背中から嫌な汗が流れる。
(やってしまったーーー!!)
 彼の心には後悔の悲鳴が充満していた。
「どうした?」
「ラグ先輩、やってしまいました!!」
偶然通りかかった、エイトと同期で仲が良いラグに泣きついた。

「「………」」
 きょとんとして、エイトとミーティアは顔を見合わせた。
「何か、悪いことをしてしまった気がするわ」
「気にすることはないと思いますけど…」
 準備ができたとか言っていたので恐らくは確認のために呼びにきたのだろうと見当をつける。
確認してくるかと立ち上がってから、ふとエイトが思い出したように声に出した。
「あっ、近日中にヤンガスが来るかもしれません」
「えっ?」
「もし、留守中にきたら足止めをお願いしてもよろしいですか?」
 申し訳なさそうに言う言葉にミーティアは嬉しさを覚えた。
あの日以来旅の仲間とはあえない日々が続いていた。
ゼシカとククールは共に旅に出ているらしく、どこで何をしているのかつかめないでいる。
ヤンガスもしばらくはこの城にいたのだが、ゲルダの誘いにしぶしぶながら出て行ったきり連絡はない。

「まぁ! そうなの? 楽しみですね」
「はい。何やら、良いものが手に入ったらしいです」
 エイトも少しわくわくしたような口調で言った。
「それと、言葉遣いは公私別よ。仕事のときも普通で良いけど無理だというから我慢しているのよ」
 旅の間中、仲間と会話するエイトを見て密かにすねていたのはミーティアの心の中の秘密事項だ。
今なら、きっとこの我侭は通ると確信している。
「……。なれないので……なれないよ。照れくさいし」
「がんばってね。エイト」
 少し照れているエイトにミーティアは満足そうに微笑んだ。
「では、何か報告があるのだと思いますので、一旦これで失礼いたします」
「はい、気をつけてね」
「……うん」
 「はい」か「うん」どちらか迷って、ゆっくりミーティアに近づいてエイトは悪戯っぽく頷いた。
びっくりしたようなミーティアの顔を見てから出て行った。
それを見送って「反則だわ」っと頬を染めてミーティアは呟く。

 昔、ひっそりと内緒話をするとき、おでことおでこをくっつけていた昔の習慣を思い出した。
熱くなった頬に自分の冷たい手を当てる。
何かが劇的に変わったわけじゃない。
でも、何処かで何かがほんの少しずつ変わってきている。
これが、最終的にどうなるのかと問われるとまだわからない。
変わっているようで変わらぬ日常はうやむやに流されているのだと思う。
そう、居心地の良い今の状態を…。